先週から公開された映画『グレイテスト・ショーマン』を観てきました!
英語版Wikipediaによれば、映画評論家の間では賛否両論の作品です。
映画の中で、「万人に受けなくてもいい、理解してくれる少数の人たちのために演じればいい」(かなりうろ覚えですが)というセリフが出てきましたが、
まさにそんな映画かもしれません。
僕の交友関係の範囲に限っていえば、今のところ、この映画を観た人たちは、アメリカ映画に否定的な人たちも含めて、「良かった!」と仰ってる方が多いです。
僕は、映画の途中で、何度も涙腺が崩壊しました(笑)
ハリウッド映画のストーリーライティング手法に沿ったストーリー展開で、かなり先読みできてしまうにも関わらず、
映画の随所に仕込まれた「感動ポイント」にいちいち感情が反応してしまう、単純な人間なんです(笑)
さて、ネタバレしない程度に、映画の感想を。
この映画のテーマは、「エゴ」と「自尊心」だと感じました。
幼いころから、社会の底辺で生き抜いてきた主人公。
その凄まじい経験で身につけた発想力と行動力を活かす機会になかなか巡り会えなかった彼は、最愛の家族との幸せな暮らしを守るために、ある「賭け」に出ます。
その賭けに失敗しそうになったとき、幼いころに街角で自分を助けてくれた人の記憶が蘇り、あるアイデアを思いつきます。
そのアイデアが大当たり。
莫大な富を手にした主人公は、自信満々で、次の「賭け」に出るのですが・・・
このあたりで、主人公はすでに「エゴ」の塊になっていることが、彼の言動から分かります。
ここで言う「エゴ」とは、「エゴイズム」のことで、自分の利益だけを重んじる考え、自分本位の考え方という意味です。
なぜ、それが分かるのか?
30代から40歳過ぎまでの僕自身が「エゴ」の塊で、それが原因で手酷い失敗を繰り返したからです。
そんな経験もあって、僕はよく「エゴ」を創作活動のテーマに取り上げています。
以前、この「落書きアート」をSNSに投稿したとき・・・
フェイスブックのお友達が、「エゴは個性でもある」と仰っていて、それは確かにそうだなーと。
ただそれは、それまでの人生で積み上げてきたものを、根こそぎ壊してしまいかねない「個性」でもあります。
映画『グレイテスト・ショーマン』の主人公にも、まさに全てを失うような「危機」が訪れます。
っていうか、いったん失います。(←ややネタバレ)
そこから彼を救い出してくれるのが、彼によって「自尊心」を取り戻した人たちなのです。
ここでの「自尊心」とは、「自分の人格を尊重し,誇りをもち、品位を保ちたいという意識」という意味で使っていますが、
僕自身、「エゴ」と「自尊心」は、元を辿れば、実は同じものだと考えています。
同じものなのですが、体温と同じように、高すぎてもいけない、低すぎてもいけない。
ちょうどいい「適温」に調節されているのが健全な状態なのです。
なぜ、そんなことが言えるのか?
僕が「エゴ」の塊になる前、10代から20代ごろの僕は、健全な「自尊心」を持っていない状態だったからです。
「自尊心」がない状態から「エゴ」の塊になったという、いろいろややこしい人生を送ってきたことが、
映画『グレイテスト・ショーマン』を観るうえでは、役に立ちました(笑)
で、体温の例えに話を戻しますと・・・
エゴの塊になっていた時期の主人公は、いわば40度を超えるような高熱を出している状態で、
その熱が自分にとって大切なものを壊しはじめているのに、その熱のせいで冷静な判断ができなくなっている。
一方で、主人公によって自尊心を取り戻す前の「ある人たち」は、
体温が低すぎる、いわば「低体温症」のような状態で活力を失っていて、社会でうまく居場所を見つけられない状況だった。
さらにいうと、幼いころの主人公が、自尊心を持てないような環境で生き抜いてきたことが、エンディングへの伏線になっています。
つまり、映画『グレイテスト・ショーマン』は、
主人公と、主人公によって救われる「ある人たち」が、「平熱」に戻っていくストーリーを描いたものなのです!
とまぁ、なんだか、分かったような分からないような・・・(笑)
これ以上はネタバレなしには突っ込めないので、ぜひ映画館でご覧になってください。
いま現在、「エゴ」に取り憑かれそうになっている人にも、
それとは逆に、「自尊心」を失いそうになっている人にも、
自分にとっての理想の未来、より良い未来を創り出すために欠かせない、大切なメッセージが得られる映画だと思います。
僕も、今度は妻と一緒に、もう一度観にいきます!(笑)
神戸を拠点に活動するビジネスコンサルタント。アメリカでの7年間の勤務経験を含め、これまで色々な業界で、30を超える国・地域でプロジェクトに関わる。遊びで始めたInstagramへの投稿がきっかけになり、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしても活動。