「習慣」と「自己管理」に、善悪はない。

発想

 

「自己管理」という言葉は、都合よく使われている。

 

自分の行動を理性的にコントロールするっていう、ストイックなイメージがあるかもしれない。

成熟したオトナには欠かせないものっていう、一般常識として捉えられるかもしれない。

やりたいことを我慢する、っていうネガティブな印象を持つかもしれない。

いずれにせよ、僕自身を含むほとんどの人たちが、多かれ少なかれ、日常の生活で何らかの「自己管理」を求められているはず。

 

でも、その「自己管理」には、どんな意味があるのか?

誰のための、何のための「自己管理」なのか?

 

そんな本質的な問いかけをしてくれる本がある。

 

Daily Rituals: How Great Minds Make Time, Find Inspiration, and Get to Work

http://www.amazon.co.jp/dp/B00DTUKK4O

 

この本は、音楽家のベートーヴェン、作家のフランツ・カフカ、トーマス・ウルフ、ジャン=ポール・サルトル、アーネスト・ヘミングウェイなど、総勢161名の歴史的なクリエイターたちが、どういう「毎日の習慣」を持っていたのかをダイジェストでまとめたもの。

 

歴史に名を残している彼・彼女たちの生活習慣には、奇抜なものも目立つ。

昼夜逆転の生活だったり、酒や薬物に溺れたり、奔放な異性関係を続けたり・・・

常識に囚われがちな僕たちには、学校の教科書に載っているような偉人たちの自堕落な生活習慣が、新鮮に映る。

 

でも、クリエイター本人たちは、自分たちの習慣を、「悪い」ものと捉えていたのだろうか?

こんな行動をしていたらダメだ、自分をしっかりと律さなければ・・・と、「自己管理」に励んでいたのだろうか?

 

むしろ、きっと、そういう習慣があったからこそ、偉大な作品が生まれてきた。

他人からは、とくに現代に生きる僕たちの視点からは「悪い」と判断される習慣でも、本人たちにとっては創作活動に欠かせないもの。

創作という、彼らの存在意義そのものである絶対的な目的に、すべてのエネルギーを注ぎ込むために、その習慣が必要だった。

ありきたりな「自己管理」などをやっていたら、創作のエネルギーは削がれ、歴史に名を残すことはなかったはず。

 

いや、もしかしたら彼らも、「自己管理」を試みていたのかもしれない。

彼らは、自分たちと同じような自堕落な生活をして、歴史の闇に消えていったクリエイターも目にしてきただろう。

「自己管理」をしたくても思うようにならない自分自身に葛藤し、時には自分を憎みさえして、それがさらに大きな創作のエネルギーを生み出していたのかもしれない。

 

クリエイターたちの様々な習慣を追っていくと、そこには「こうあるべき」っていう理想論が存在しないことが分かる。

どんな習慣を持っていても、どんな自己管理を試みていても、そのこと自体には大した意味はない。

僕たちにとって大事なのは、クリエイターにとっての「創作」と同じ、自分の一生涯を捧げる使命があるか、ってこと。

そして、自分の習慣や自己管理が、自分自身の人生の使命を果たすための行動とエネルギーを生み出しているか?ということ。

たとえ、その習慣が、他の人からは「悪い」と評価されるものであったとしても。

その自己管理が、自分自身の弱さをむき出しにするだけで、なんら望む結果をもたらさなかったとしても。

 

「◯◯するための5つの習慣」とか「◯◯を実現するための7つのルール」みたいな小奇麗なテクニックが溢れる現代こそ、ドロドロの人生を送ったクリエイター達から学ぶ「本質」に、価値がある。

 

神戸を拠点に活動するビジネスコンサルタント。アメリカでの7年間の勤務経験を含め、これまで色々な業界で、30を超える国・地域でプロジェクトに関わる。遊びで始めたInstagramへの投稿がきっかけになり、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしても活動。