母の命日に思い出したこと

いまから8年前、2010年2月16日の未明。

私の母親は、病院で息を引き取りました。

新幹線と在来線を乗り継いで郷里へ向かい、

実家に戻ると、病院から約20年ぶりに「帰宅」した母親の姿が。

僕が大学に進学した直後から、母親はずっと入院を続けていて、

その間、何度も「もう保たない、もう長くない」と言われ続けていました。

息を引き取ったという連絡を受けたとき、そして実家で久しぶりに姿を見たときには、

正直、驚きやショックはあまりなく、それよりも、

これでやっと母親は「解放された」のかもしれないという、安堵の思いが強かったのを覚えています。

母親と僕の関係は、あまり良くありませんでした。

関係とは言っても、私が生まれてから大学に進学するまでの間のことで、

反抗期まっさかりで、人間的に未熟だった僕に、すべての問題があったのですが・・・

入院してからまもなく、母親はまったく会話ができない状態になったため、

過去の自分の愚行や、母親への理不尽な仕打ちを謝罪して、

関係を修復することは、最後までできませんでした。

でも、そんな消化不良な思いを抱いていたのは、僕だけなのかもしれません。

母親は、僕が人間として未熟だったときも、どんな悪さをしていたときも、

無条件の愛情を注ぎ続けていたんだろうと、最近ようやく気づきました。

そして、自らの姿を通じて、ずっと何かを教えようとしていたことにも。

「人様の何倍も努力しなさい」

病気が発症する前、元気だったころの母親はいつも、そう言い続けていました。

その後も、闘病を続ける母親の姿から、

置かれている状況がどんなに悪くても、天命が尽きるまでは自分の全力を尽くすという生き様を

無意識のうちに学んでいたのだと思います。

私たち人間はいずれ死にゆく運命。

でも、どんなに絶望的な状況になっても自ら諦めてはならないという母親からの教えを

ふと思い出した、命日の朝でした。

神戸を拠点に活動するビジネスコンサルタント。株式会社スティッキービジョン代表取締役。アメリカでの7年間の勤務経験を含め、これまで色々な業界で、30を超える国・地域でプロジェクトに関わる。遊びで始めたInstagramへの投稿がきっかけになり、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしても活動。

起業家・事業家向けのコーチングを行っている妻の廣世紹瑛と共に、神戸で「ビジネスお悩み相談クリニック」を好評開催中です。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする