僕はなぜ「落書きアート」を始めたのか

クリエイティブ

 

2016年の5月から約1年半、毎朝の日課としてイラストを描き、インスタグラム(@satoruhirose)に投稿していました。

画力としては「イラスト」というよりも「落書き」に近いものですが・・・

100枚近く投稿してからは、イラストにショートエッセイも加えて投稿を続け、

今年の10月1日、500枚に到達したことを一区切りにして、それ以降は不定期の投稿に変えています。

今朝の投稿は、崇拝しているアーティスト、アンディ・ウォーホルの名言をテーマにしました。

 

子供のときは絵を描くことが大好きで、

小学校に行く前から、チラシの裏などに絵を描いて、それを何十枚も集めて「画集」を作り、一人で悦に浸っているような子供だったそうです。

マンガも大好きで、お気に入りのキャラクターを真似して描いたり、架空のキャラクターを勝手に創ったり・・・

しかし、小学校の高学年になったころから、僕を大学に行かせたいという母親の意向で、家にいるときには絵を描くような「娯楽」を許してもらえないような雰囲気になり、

中学生になったころには、数少ない美術の授業が息抜きになっていました。

高校に進み、進学校だった関係もあって、美術の授業は1年生のときしかなかったのですが・・・

それから約30年間、絵からずっと離れていたキッカケになった「事件」は、その時に起こりました。

 

まぁ単純に言えば、

高校の美術の先生が僕のことを目の敵にして、僕の作品を事あるごとに、他の生徒の前で批判したのです。

 

当時の僕は、思春期にありがちな「ちょっと荒れていた」状態でもあり、

美術の先生は、僕の美術スキルやセンスが云々というより、

先生の指示にまったく従わずに、描きたいものを描きたいように描いている僕の態度に腹を立てていたのだとは思いますが、

人間として未熟だった僕には、美術の先生への怒りが、そのまま「絵」に対する憎しみに転嫁されてしまったのです。

 

「こんなオッサンの言うことに、俺がなんで従わないといけないんだ!バカバカしい、もう絵なんて描くもんか!」

それからは授業に出てもまともに絵を描かなくなり、

赤点ギリギリの成績で、人生最後の美術の授業を終えました。

 

その時の怒りが無意識レベルに染み込んだまま大学に進み、社会人になり、

絵を描くということすらアタマに浮かばなくなって約30年が経ち・・・

 

2016年の前半に、いろいろなことが上手くいかなくなって、もう人生を投げ出そうかと思ったとき、

「最後に、自分が小さいときに好きだったことを、思いっきりやってみたいな・・・」

「何が好きだったんだろう?・・・そうか、絵を描くことだ!」

そんな感じで、なんの希望も期待もなく、絵を描くことを再開したのです。

で、どうせ描くのなら、インスタグラムに投稿して、自分の生きた証を残そうと思ったのです。

 

以前は大好きだったこととはいえ、

投稿を始めた最初のころは、絵を描くたびに高校生のころに抱いた怒りが蘇ってきて、

それがトリガーになって、これまでの人生で経験したその他の怒りや憤り、悲しみや苦しみまでもが、次々と蘇ってきました。

そんなネガティブな想いが、そのままイラストに反映されていた時期もあります。

 

しかし、「こんな投稿、好き好んで見る人などいないだろう」と思いながらも

インスタグラムへの投稿を続けているうちに、

いいね!の件数が増え、フォロワーが増え、「心に響きました!」のようなコメントもいただくようになり・・・

 

あれ、これは何か違うぞと。

僕のもともとの意向はともかく、

投稿を見てくれる方々がいるのだから、自分が抱えてきたネガティブな感情をそのままストレートに出すのではなくて、

その感情、そしてその感情と結びついている体験から、自分が学んだ「教訓」のようなものを引き出して、それを表現していこう・・・

そう思い始めて、表現のスタイルを徐々に変えてきました。

 

その後、毎日のインスタグラムへの投稿が、まったく予想もしていなかった人生の転機を生むのですが・・・

長くなりそうなので、続きは、次回の投稿で!

 

 

神戸を拠点に活動するビジネスコンサルタント。アメリカでの7年間の勤務経験を含め、これまで色々な業界で、30を超える国・地域でプロジェクトに関わる。遊びで始めたInstagramへの投稿がきっかけになり、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしても活動。