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他人への批判を止めることは、自分への批判を止めること

 

私たちは、他の人の言動や身の回りで起こった出来事、あるいは政治や社会に対して、怒りや憤りを感じることがあります。

その怒りや憤りは、自分の内面にある自分自身に対する怒りと憤りが、その方向を変えて、表に出てきたものです。

自分以外のものに怒りと憤りの矛先を向けるのは、自分自身が感じている痛みを和らげようとする、自己防衛の行動なのです。

 

自分以外のモノゴトに対するネガティブな感情を手放すためには、まず、自分自身のことを厳しく批判したり、非難することを止めることが必要です。

 

批判や非難は、「標準」や「理想」に基づくものです。そして、それらの「標準」や「理想」は、人によって異なります。

私たちの自意識はいつも、それらの「標準」や「理想」を、私たちの周りにいる人たちが持っている、そして私たちが属している社会に存在している常識や通念から作り上げます。

しかし、それらの常識や通念は必ずしも正しいとは言えません。しばしば非現実的で、物質的で、形式的なものに偏っていています。

男尊女卑、国籍・人種差別、マイホーム信仰、学歴偏重主義などは、もはや正当性を失っている常識と通念の一例です。

 

私たちの自意識は、そのようなうわべだけの「標準」や「理想」を満たしていないことで、私たち自身を非難するのです。

そんな「標準」や「理想」に基づいた目標や夢を抱き続けている限り、私たちは遅かれ早かれ、行き詰まったように感じます。

常に、なにかが満たされていない気持ちになります。

勝ち目のないゲームに勝とうと躍起になって、結局はいつも負け犬のように感じてしまう、みじめな状況を生み出すのです。

 

企業が多額のお金をつぎ込んだコマーシャルが溢れている現代社会は、私たちの満たされていない気持ちをいつまでも永続させようとしています。

満たされていないという苦しみを、モノやサービスを手に入れる満足感で和らげようと仕向けているのです。

そうしなければ、コマーシャルにお金を費やしている企業が、広告費用を回収することはできません。

 

私たちはいつも、「足りない、十分ではない」と言われ続けています。

誰かの期待に応えなければならない、新しいモノを次々と手に入れなければならない、必要のない仕事を作り出してでも懸命に働かなければならない・・・

しかし、これらは、なにひとつとして、本当に必要なものではないのです。

私たちが、自分自身の内面を見つめ、偽りの「標準」や「理想」にとらわれることを止めれば、そのことに気づきます。

 

モノゴトの外見にとらわれず、その本質を見抜くことができる勇気を得たとき、私たちは、私たち自身を批判することを止められます。

そのような内面の強さを得たとき、他人を批判したくなる衝動が湧いてこなくなったことに気づきます。そもそも最初から、他人を批判する必要などなかったことに気づくのです。

自分が成すべきことを成し、他者への同情の心を持つことで、私たちの外側の世界で、私たちの意図とは関係なく起こっている出来事が、徐々に重要ではなくなってきます。

それは、周りで何が起こっていようとも、自分はいつも自分らしくいることができるという、揺るぎない自信が生まれてきたからなのです。

 

Published in マインドセット