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利き手ではない手で歯磨きをする「メリット」とは?

 

こんにちは、廣世です。

 

最近、左手で歯磨きをしています。

僕の利き手は右手なので、始めはかなり動きがぎこちなく、うまく磨けません。

1週間くらい続けて、ようやく以前と同じくらいの時間で、スムースに磨けるようになりました。

 

なぜわざわざ、利き手ではない左手で、歯磨きをしているのか?

それは、何かを「変える」ことへのココロの抵抗を無くすためです。

 

私たちが何かを「変えられない」理由は、2つだけです。

  • 本気で変えようと思っていない
  • 変わるまで続けない

 

私たちはしばしば、変わるキッカケを自分自身ではなく、自分以外のものに求めます。

「もし◯◯なら、△△する(した)んだけど」というのは、自分から主体的に変化を起こすのではなく、周囲の環境に依存していることを認めているだけの言い訳です。

例えば、利き手である右手を交通事故などで失ったとしたら、当たり前ですが、歯磨き(さらに、それまで利き手でやっていたすべてのこと)は左手で行わなければなりません。でも、「交通事故で腕を失う」というキッカケがなくても、右手・左手のどちらで(あるいはそれ以外の身体の部位で)、どうやって歯磨きをするかは、自分でいつでも変えられることです。

利き手ではない左手で歯磨きをするという一見して意味のないバカげた行動であっても、「自分の行動は、自分の意志と決意で、変えようと思えばいつでも変えられる」というセルフイメージを強めます。

両手両足がなくてもキリマンジャロに登った人がいますが、この人を支えているのも、自分の行動は自分で決める・変えるという強いセルフイメージなのです。

 

さらに私たちは、変化は「プロセス」であることを忘れがちです。

何かを変えるキッカケは一瞬のことであっても、その変化が定着するまで行動を続けなければ、すぐに元に戻ってしまいます。

歯磨きの例で言えば、利き手とは逆の手を使うと「ほら、やっぱり、うまく磨けないじゃないか」とイライラして、利き手に持ち替えようとする意識が働きます。

私たち人間には、慣れ親しんだ以前の行動に戻ろうとするホメオスタシス(恒常性)が備わっているので、何かを変えようとすると「以前と違う」という強い違和感を感じます。

違和感が生まれるのは本能的な反応であって、止めることはできませんが、元の状態に戻ろう、元に戻そうとしている自分に気付くことはできます。

その気付きによって、変化のプロセスを止めずに続けることが、「変わる」ためには欠かせません。

 

そして、これは私たち自身の変化に当てはまるだけでなく、他の人たちの変化においても同じです。

他の人たちの「変化のプロセス」が完了するまでは、じっと見守ることが必要なのです。ビジネス世界においても、どんなに優れた人材育成プログラムを使ったとしても、結局は「待つ」ことでしか人材は育ちません。

 

利き手と逆の手で歯磨きをすれば、変化のプロセスを楽しむ術を学べるし、他人の変化を見守るココロの余裕も生まれる。

そんな思いが浮かんできたのも、左手で歯磨きを続けたことで、僕の脳内に新しい神経回路ができたからなのかもしれません。

 

それではまた!

 

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Published in 発想